インターミッション


2000年7月

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■ 江戸京子

<東京の夏>音楽祭が開幕し、そちらに気をとられているうちに月日がたってしまったが、6月19日、私が館長(芸術監督)を務めている久慈市のアンバ−・ホ−ルで、小沢征爾指揮、水戸室内管弦楽団による演奏会が開かれ、岩手県中の話題をさらった。
久慈市は、岩手県の北部の太平洋岸にのぞむ小さな市だが、アンバ−・ホ−ルと名付けられた席数1200の、全国でも有数の音響のよいホ−ルが、二年前に完成した。東京から盛岡までは新幹線で二時間半余り、そこからバスでさらに二時間半という遠隔の地であり、皆に何故私がそんなに遠いところの館長を引き受けたか、と聞かれるが、私にとってはごく自然の成り行きだった。
かねてからアリオン音楽財団の仕事を通して知った、地方自治体のホ−ルの運営のあり方に疑問を持っていたため、市長からの直接の依頼をほとんど即決で承諾してしまった。
どんな場所であれ、私が今まで培ってきた専門家としての耳と、アリオン音楽財団での仕事の経験を活かし、本来あるべき姿の地方自治体ホ−ルを実現させたい。もし成功すれば一つのモデル・ケ−スにも成り得る絶好のチャンスだと思ったからである。
とはいっても、そこで私が全力投球できるかどうかは、上に立つ責任者である市長と、この仕事に直接関わる市役所の担当者と私がお互いの立場を理解し合い、どのように堅固な協力体制が築けるかにかかっている。
たいへん恵まれたことに、まずは市長が、すでにホ−ル設立を計画の段階から「館長は音楽専門家に」と考えられていたということ、また市側の担当者が抜群に優秀で、誠意と熱意をもって立ち上げの作業に当たり、市長との間の調整役をも努めて下さったため、私にとっては持っている力を全開にしてスタ−トさせることができた。
現在も仕事を進める上でのこうした基本的なことがうまく機能しているので大変やり易いが、一つには久慈市があまり大きくない市だからこそ、このような体制が維持できるのかもしれない。
これが多くの県立ホ−ルのように、予算は潤沢でも大勢の人間が関わって、誰が決定権を持っているのか、責任者なのかうやむやなまま、全てがお役所仕事的に進められるところでは、日本的な人間関係があまりにも複雑で、まずその調整に足を取られてしまう。
こうなると誰が芸術監督を務めようと、プログラムは寄せ集めや八方囲外交的な内容のものとなり、一つの方向性を生み出すことはなかなか難しいのではないか。
このホ−ルのために、私が考えたプログラムは、まず、初めてなまの音楽に接する人でも---これは西洋のクラシック音楽のみではない、各国の民族音楽・邦楽も含む---音楽の持つ魅力に捉えられるような中身のコンサ−トを主軸に、将来このホ−ルで初めてのリサイタルを開いたことが記念になるような、将来性のある有望な新人の紹介もしていく。
同時にすでに久慈市に根付いている吹奏楽、合唱のレッスンなどの指導者を東京から送って強化し、このホ−ルを核にして活性化していくこと、さらにこの市の文化活動を将来支えていく次世代を担う子供たちのための音楽鑑賞を考えていくことなどである。
一番目に関しては、聴きにきた人達が大満足でも、日本での著名度がないと動員力がないのが泣きどころだ。そのため、年一回、目玉になるコンサ−トを催して話題を提供し、できる限り大勢の市民にアンバ−・ホ−ルの存在をアピ−ルするようにしている。
一年目は、久慈市と、同じく琥珀の産地であるリトアニアのクライペダ市が姉妹都市であり、市長がリトアニアの独立の戦いの際に医療費などの支援を送った経緯があるため、リトアニア・フェスティバルを開催した。
そのなかの第九の演奏会には市民が合唱に参加したが、なにしろ第九はおろか、今まで舞台で歌ったことも、オ−ケストラと共演したこともない人がほとんどで、数カ月の猛練習。指揮者ドマルカスも、到着した夜、市長との夕食の席で、皆第九を歌うのは初めてと聞いて驚愕し、夜の九時すぎ、市の職員が総動員で全員に電話をし、オ−ケストラとの練習を一回増やすなどの大騒動があった。
結果は、市民の熱意が実り、信じがたいほどの出来で、なかなか感動的だった。
ドマルカス指揮のオ−ケストラは、今世界のほとんどのオ−ケストラから失われてしまった、余裕のあるロマンティックなフレ−ジングが特徴的なまろやかな音楽で、リトアニア人は北欧系なのか、すらりとした金髪の美男美女が多く、目も耳も楽しめた一晩だった。
フェスティバルのなかに、第九に参加したリトアニアの声楽家たちによるリトアニアと日本の歌曲を歌うリサイタルがあり、お礼に同じ舞台で久慈市の小・中学生たちが合唱した。
私もその時初めて聴いたのだが、表現の豊かさ、特に内声部の複雑なリズムや音程を難なくこなしていくのには舌を巻くばかり。地方都市と東京の格差などなく、むしろ音楽への純朴な傾倒が表れていて、リトアニアのソリストたちも感激の涙を流していた。
終了後の親善交流パ−ティーは久慈市の子供たちの祭り囃子の太鼓による歓迎で始まったが、宴もたけなわとなった頃、突然朗々とした男性合唱が鳴り響いた。オ−ケストラの団員たちのテ−ブルである。そうかと思うと上半身裸になって和太鼓を打つ真似をする打楽器奏者がいる。日本側も負けじと童謡を合唱したり、最後は全員が盆踊りの音楽に合わせて見様見真似で踊るなどの盛り上がりかただった。
音楽を通して知り合い、市民同士が心をかよわせあって、このように楽しんでいるのをみるのは実に微笑ましい。舞台で一緒に演奏することも文化交流だが、お互いの生活の場で知り合うことはさらに理解を深める。またこのことによって、市民たちの音楽への親しみが増幅し、毎年第九が歌いたいと「久慈第九の会」も結成された。
このように一歩一歩地が固まっていくのを見るのは、私にとって、とても勇気づけられることである。
今回は水戸室内管弦楽団の久慈市公演について書くつもりだったが、前置きで終わってしまった。次回としたい。


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