インターミッション


2000年8月

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■ 江戸京子

先回、私が館長の役を仰せつかっている久慈市のアンバ−・ホ−ルの年間プログラムのなかに、年一回は市民がこぞって切符を欲しがりマスコミも話題にするような、名実ともに優れたコンサ−トを提供することに触れたが、今年度は小澤征爾指揮の水戸室内管弦楽団の演奏会がそれであった。
是非小澤さんに来て頂きたいというのは市長のたってのご希望だったが、なにしろ相手は三年位先までスケジュ−ルが決まっている超売れっ子の世界的指揮者。日取りの獲得はもとよりギャラも相当かかる。
小澤征爾プラス百人余のフルオーケストラとなると新幹線の旅費も馬鹿にならないし、そのための出費で、久慈市のアンバ−・ホ−ルの年間予算は残り僅かとなってしまう。
狙い所は、団員が約五十人の水戸室内管弦楽団ではないか、と標的は決まったが、口説き落とすにはいくつかの難関があった。
まずこのオ−ケストラは水戸芸術館に所属するいわば座付きオ−ケスラであり、水戸以外の場所での演奏会は殆どない。またこの芸術館の最高司令官である館長の吉田秀和先生の承認が不可欠である。以前、<東京の夏>音楽祭に出演依頼したところ、まだ音がこなれていないから、とお断りを受けた経緯があった。
さらにこの楽団のメンバ−たちは、国内外で活躍する選りすぐりのソリストが多く、それぞれが強い発言力を持っている。
こういった難関をすべてクリアして久慈市公演が決定した段階で、小澤さんのアメリカでのスケジュ−ルが変更、結果として小澤さんとメンバ−たちは、水戸での午後のコンサ−ト、そして斉藤秀雄未亡人の追悼演奏会終了後、最終電車で盛岡へ、そして次の日の久慈市での公演の翌日、また水戸へ戻って夜のコンサ−トという強行軍となってしまった。
この演奏会を、地方の大都市よりはむしろ小さなところでやってみたい、といって承諾してくれた小澤さんが、後に「もし地図をみて、こんな北の端っこってわかっていたら俺たち来なかったかもな」ともらしたが、館長の私としては、こんなに無理して来てくれる皆をどう歓待するかが最大の悩みの種となった。
久慈市は何度か大火に見舞われ、古い家並みは失われたが、開発に侵されていない海と山に、日本の自然の恵みが豊かに残っている。一日のんびりと温泉に入ったり、山や海を歩いて遊んで欲しいと思っていたが、そんな時間的余裕はまったくない。
地方でのコンサ−トの場合、演奏家たちは、通常ホテルと会場の間だけを行き来し、翌朝は出発という行程で、いつ何処で演奏するにしても観光する余裕などは無いことが多く、結局唯一の気晴らしは食べることだけとなる。このあたりを市長にも、音楽家はみな食いしん坊だから、演奏会終了後は、久慈市ならではの新鮮な魚介類や山菜などの御馳走で労ってほしいとお願いしておいた。
コンサ−トの前日、私は深夜に到着したメンバ−の幾人かを盛岡で迎えたが、皆、疲れなどなんのその、盛岡名物の冷麺を食べに出掛けてしまった。翌日、久慈市へ向かうバスの中からは、まだ白い雪の筋が残った怖いように神秘的な岩手山や、藁葺き屋根の家などが見え、高速道路をおりてからは、渓流のせせらぎが聞こえ、深山幽谷の趣があるが、こうした景色を楽しんでくれた人たちはほんの少数で、喋っているのは小澤さんと私のみ。殆どのメンバ−はひたすら眠っていた。
午後の三時、リハ−サルが始まった。今回初めての試みで、子供たち(小中学生)を会場に入れさせてもらったが、サ−ビス精神旺盛な小澤さんは、まず「君たち何年生?ちゃんと上のクラスに上がれた人、手を挙げて!」などと話しかけながら子供たちとのコミュニケーションの場を作った。
「オ−ボエって楽器はね、こんな音がするんだよ。ちょっと宮本君、吹いてみて!じゃあ次はフル−トの工藤君」など、世界的名手たちが次々と得意の一節を演奏するという、東京だって考えられぬほど贅沢なもの。
最後には、まだ一度もクラシック音楽を聴いたことのない人をも「さあこれから幕が開いてオペラが始まるぞ」とわくわくさせるような音楽の歓びを満喫できるフィガロの結婚の序曲を通しで演奏してくれた。
久慈市の子供たちを、吹奏楽クリニックで教えているトランペットの田宮堅二さんは、「ここの子供たちは純朴なためか、音がとても純粋で十年後が楽しみだ」といっている。
思い返してみれば戦後まもなく、まだ焼け跡が残り、敗戦の痛みから立ち直っていなかった時代に、ギーゼキング、コルト−といった巨匠たちが来日したが、小学生だった私が、幸運にも母親に連れられて聴いた彼らの名演は今でも耳に残っている。この日も、子供たちの柔軟な感性に、一生忘れられない響きが刻印されたにちがいない。
一つの空席もないこの夜のコンサ−トは、シュニトケの合奏協奏曲に始まり、プロコフィエフの一番の交響曲、ベ−ト−ヴェンの弦楽四重奏曲op.131の弦楽合奏版といった玄人好みのプログラム。はたして久慈市民はどう受け止めるかが心配だった。
故斉藤秀雄の薫陶をうけた小澤征爾とそのメンバ−たちの演奏の根底にある共通の精神は、いつ何処で、どんな条件であろうとも常に自分のベストを尽くすというところにある。本来それは当然のことなのだが、彼らは心底音楽に情熱を燃やし、どんな悪条件でも文句を言わず、決して手抜きなどしない。
当夜の演奏について、例えばベ−ト−ヴェンの一楽章はまだ暗中模索で、その作品の精神的な深みをちらとのぞき見するだけに終わってしまったとか、あるいはシュニトケのなかに出てくるタンゴは、タンゴらしいリズムや、野卑さに欠けるなどという批判はあっても、とにかく世界的なソリスト級の奏者たちが小澤さんの指揮下、全身全霊を傾けて弾き切るヴィルティオ−ゾな熱演は聴衆を圧倒してしまう。
アンコ−ルの「フィガロの結婚」が猛スピ−ドで終わった後、三々五々、ホテルの宴会場に足を踏み入れるメンバ−たちから、歓声が上がった。テ−ブルには一人あて牛乳ビンに半分ぐらいの漁港市場直送のウニ、山盛りの蟹やその他の魚介類、さらに久慈市一のお寿司やさんがカウンタ−を出し、腕まくりして皆を待っている。その他久慈湾でその季節にしか獲れない高級魚大目鱒のグリル、隣の山形村の短角牛のステ−キ、そば粉、お醤油ともに手造りのお蕎麦など、山海の珍味が溢れるんばかり。市長は久慈市でとれるものだけでおもてなしたといわれたが、この日はまさに音と食の一大饗宴、今だにメンバ−たちの話題になっている。
考えてみると、小澤さんはじめ主要なメンバ−の人たちとは「子供のための音楽教室」で一緒に学んで以来、半世紀以上のお付き合いである。いつも無愛想な京子さんがニコニコしていたと言っていたそうだが、このように、関わった全ての側から喜んでもらえれば、企画の仕掛け人として嬉しくない筈はない。
これに比べれば、無論規模は違うが<東京の夏>音楽祭は、何倍もの労苦と、責任者としてのストレスが重く、しかも必ずしも正しく評価されていないという不満がつきまとう。
というわけで次回は今年の<東京の夏>音楽祭(テーマは「映画と音楽」)の成果の総括を試みる。


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