インターミッション
2000年10月
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■ 江戸京子
<東京の夏>音楽祭が終わってすでに二ヵ月余り、例年だとアヴィニョンのフェスティバルの最後の幾つかの演目を観るため、終わるや否やフランスに飛ぶのだが、今年はこちらの終わるのが遅く、それが出来なかった。
それにしてもなんと暑い<東京の夏>だったことだろう。映画という未知のジャンルに関わったせいもあり、何度汗ならぬ冷や汗をかいたかわからない。しかも終わったあと、映画と音楽の関わりをテ−マに、恐らく世界でも類をみないであろうこれだけのプログラムを無事にこなした歓びより、むしろ深い疲労感と、日本でこうしたことをやっていることに、一体どんな意味があるだろうかと虚しく思う気持ちだけが残ってしまった。
ひとつには、映画は、いつ、どんな場所で、どのような観客をまえに上映しようが中身は変わらず、他の舞台もののように、毎回毎回が一期一会である芸術ではない。企画、制作の労苦の果実でもある、当日の公演が与える満足感が希薄だったのは、多分そのためかもしれないとは思う。
また常日頃この音楽祭に関わりながら、もしヨ−ロッパであったら、この音楽祭は間違いなく高く評価され、毎年の主要な文化事業として認められるであろう。しかし相も変わらず日本では知る人ぞ知るのみで、大小多数の玉石混淆のなかの一つとしてしか扱われていない、という現状への不満は常にあり、それが例えば映画のような、音楽より広く一般に娯楽としても受け入れられている分野に関わるテ−マを扱えば多少解消されるのではないかという期待があった。残念ながら、その予想が見事に外れたことにも一因がある。
確かに今回のプログラムは、よくこの音楽祭へ向けられる批判である「難しそうだ」「おたく的」といった印象が強かったかも知れない。特に映画通でなくても、誰でもが知っていて、文句なく楽しめる演目が欠けていたことは確かである。
これは企画制作の裏話となるが、私は、上映された当時話題をさらい、今見るとスト−リ−は凡庸だが、半世紀の間に演奏というものあり方が如何に変わってきたかがわかる貴重なドキュメントともいえる「カ−ネギ−・ホ−ル」や、映画として必ずしも傑作でなくても「別れの曲」「未完成交響曲」「アメリカ交響曲」など、私たちの世代にとっては、昔懐かし音楽映画を何本かプログラムにいれたいと考えていた。ところが、世界中を当たってみたが権利関係がクリア出来ず、結局実現できなかったが、それにしてもである。
滅多に観ることも聴くことも出来ない、また今後恐らく何十年と上映されないであろう若きシャスタコ−ヴィッチが初の映画音楽を作曲した、ロシアの無声映画の傑作のひとつである「新バビロン」のオ−ケストラのライブ演奏付きの上映や、リヒャルト・シュトラウス自身が作曲し、初演を指揮した貴重な無声映画「薔薇の騎士」の、同じく生演奏付きの上映にも、それほど関心が持たれた様子もなく、空席が目立ったのにはがっかりさせられた。
また初日の「新バビロン」と「爆弾花嫁」に関してはいくつかの批評が出たが、とくに「新バビロン」の、昨今の映画にはまず観られない、生と死の狭間に生きる男女の深い痛切な感情表現や、戦いの前の、静まり返った幻惑的な野の風景、ロシア人がフランス人を演じるキッチュなどぎつさ、−これがまたショスタコヴィッチの音楽になんとピッタリなことか−そのような音楽と映画を同じ網目に絡みとっての評はごくわずかで、特に映像の美しさについて言及した評はなかった。
今回、私にとっては未知といってもよい日本の映画業界への橋渡しに、多忙ななかで親身に係わってくれた旧友の戸田奈津子によると、やはり映画の世界も、商業主義一辺倒で、巨額の経費を投じて制作され、億単位の宣伝費を使うアメリカ映画にわっと人々の関心が集まるのだという。
私が同世代の音楽家たちとともにこの音楽祭を立ち上げたのは、これまで何度も繰返しのべているが、先輩の音楽家達から、音楽専門家を育てるための理想主義的な才能教育を受けて世界に羽ばたくことができた私たちの世代がなすべきことは、その時忘れられた音楽の受容側の啓発であるというところから出発していた。
考えてみると、音楽専門家を育てる才能教育は、少数精鋭主義でしかあり得ず、一人一人、相手の顔がはっきりみえている。教育の成果も刻々表れる。
ところが受容側というのは茫漠として捉えようもないものである。そのうえ東京という都市では、文化のごった煮の大鍋のなかへ、あらゆる種類の食材が投げこまれ、それを貪欲に飲み込んで次々と排泄していくところでもある。この仕事を16年も続けたににもかかわらず達成感や歓びが感じないのはこういったところにも原因があるかもしれない。
個々の演目について言いたいことは多々あるが、本来主催者は自分たちが提供したものへの批判は避けるべきなのが筋である。
音楽家であり、時評も書くという、もう一人の別人格になることをお許し願えれば、次回はプログラムの内容そのものに対する感想を述べたいと思う。
*ご感想、ご異論、ご反論、等ございましたら、info@www.arion-edo.orgまでお聞かせ下さい。
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