インターミッション
2001年3月
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■ 江戸京子
先回に続けて、昨年の<東京の夏>音楽祭の総括を書くつもりでいたら、あっと言う間に時が過ぎてしまった。その間、公私ともに長期にわたる揉め事あり、日本という国で働くことも、生きることにもすっかり嫌気がさし、昨年の音楽祭で観たり聴いたりした映画や音楽は、もはや遠い彼方に霞んでしまって、「音を斬る」エネルギ−など一向に湧いてこなかったのである。
ところがごく最近のこと、再び生きる活力が戻ってくるような、幸運な出会いに恵まれた。ある友人宅の夕食の席で、遺伝子の分野で世界に先駆け、高血圧を引き起こす原因となる酵素「レニン」の遺伝子暗号を解読された、筑波大名誉教授の村上先生のお隣の席に座ることになったのである。まったく違う分野で、優れた業績をあげられた方々のお話は、常に得るところが多く、話が弾んだが、門外漢の私が、それなりに理解したことを要約するとこうである。
人間の身体は、約六十兆の細胞からなり、どの細胞のなかにも全遺伝子の暗号が入っている。その遺伝子がオンになったり、オフになったりして指令を与え、人間の肉体の全機能の働きを司り、私たちは生きていく。ところがその個々の大きさは、例えば全世界の人間の細胞一個づつを寄せ集めると、約六十億、それがたった一粒のお米のなかに入ってしまう、といった超微細なものだ。しかしそこには万卷の書物にも匹敵するような情報が内蔵され、しかもその暗号は、三十五億年ぐらい前から地球上で生きてきた全ての生物間、つまり細菌から昆虫、植物、動物間で過去から現在まで共有、共通するものだというのも、信じられないようなことだ。動物を愛したり、森のなかで心が癒されるのも多分、同じ遺伝子暗号が共鳴し合うのだろうし、また大腸菌すら、人間の遺伝子暗号を解読して、人間の酵素やホルモンを創ることが出来るとは、何と驚くべきことか。
また、遺伝子は例えオフになって眠っていても、環境次第で目を覚ます。それも20%目覚める、全開になる、あるいは200%の働きをすることも可能らしい。同時に、起きるタイミングも指令し、普段、決して動かせない重い荷物を持ち上げてしまう火事場の馬鹿力などは、緊急事態に遺伝子が100%以上の働きをするからである。
一方、病気を誘発するストレスなど、私達の心の持ち方も、遺伝子に大きな影響を与える。また恋愛中の男女の体内で、ある特定の蛋白質の量があきらかに増えるのも遺伝子が係わっているらしい。まだ科学による解明はないが、こうした心と体の関係を、遺伝子のスイッチのオン、オフで説明が出来る決定的証拠が21世紀のそう遠くない将来につかめるのではないか、と村上先生は仰る。
しかし、科学が如何に発達しても、人間はコピ−は造れるが、決して細胞そのものを創り出すことは出来ない。大腸菌に関してすら大腸菌そのものを創ることは出来ない。また遺伝子暗号を読むことはできても、書き入れるのは「自然」の力である。このように遺伝子の世界に入ってみると、細胞一つのなかに、全宇宙の奇跡に匹敵する秘密が隠されていることがわかり、如何に命というもの、さらには生きるということが神秘的な驚異かが窺える。それはもはや人智を越えた、不可知の領域であり、その存在と働きを、ひとは神といったり、宇宙意識と捉えたり、村上先生は、サムシング・グレイトと命名されている。
結論として、よく生きるためには遺伝子を目覚めさせ、パワ−全開にさせること。そのためには、個性に合った環境に生きることや、目標を定めること、歓び、感動、感謝、といったプラスの感情を味わい、それを共に分かち合うことが大切である。すると歓びは倍増し、私たちはイキイキとしてくる。また私たちが命の素晴らしさ、偉大さを識るにつれ、水や太陽、空気や私たちを養ってくれる動植物、それを育む地球、といった大自然、ひいては大宇宙によって生かされていることがわかる。こうしたことを私たちが理解することによって、さらに遺伝子のスイッチがオンになり、生きる力が活性化するのではないかとも話された。
思い起こすと、私は幼い頃、野山で思う存分暴れ、平気でトンボの羽をちょん切ったり、虻の頭をもいだりする野蛮児だった。それが、何故か年とともに仏ごころが目覚め、しじみを煮ても、野菜を炒めても、悲鳴が聞こえてくるようで堪らなくなり、はたして私は他の生命を奪うに値するような生きかたをしているだろうか、と常々自問しているので、先生のお話はよく理解できた。
またこの日、科学にもコインの裏表のように、論理の世界である昼の科学、霊感と直観の世界である夜の科学があり、この両方のバランスがとれないと成り立たない。大発見の芽は全てナイトサイエンスから、と言われ、科学も夜創られるという話もされていた。
というわけで、先生のお隣に座らせていただいた偶然は、一つの天啓であり、私にとってのナイトサイエンスで、これで久しぶりに体内の遺伝子が目覚め、活動してくれるようになるのではないか、と感じていた。それにしても、昨今、恐るべき勢いで発達してきた生命科学ですら、結局、命が何であるかを突き止めることはできないのだ。科学者が、しばしば厚い宗教心を持つようになるのもよく理解できる。
一方、芸術家達は、古来から神を仰ぎ見、ひれ伏して讃えたり、競い合ったり、さらには自らも神になることが可能であるかのように過信し、創造に励んできた。人間の命も、不可知の領域からの贈り物であるためか、その源に憧れ、様々な手だてをもちいて、神の御技に迫ろうとするのだ。こうした人間の執念が絞り込まれ、無心の状態になったとき、神はやっと戯れにその領域を垣間見させるだけで、結局、芸術家も、命の神秘を解き明かすことは出来ない。
さて、やっとこの一文を書き上げることができるまでに遺伝子が目覚めてくれたのは喜ばしいことだが、その予兆はすでにあった。丁度一月の終わりに、イタリアのチェリスト、マリオ・ブルネロが来日、私は、彼の芸術性の高い音楽のみではなく、ヨ−ロッパ人にしては稀な、常に自然体で生きる姿にも非常に共感している十六年来の大切な友人でもある。久しぶりの国内での演奏旅行に同行、久慈市や有田町での演奏を聴き、彼の音楽に心を癒され、コンサ−トに居合わせた人々と感動感分かち合うことで、歓びはさらに強まり、私は生きる活力を取り戻しつつあった。
次回はあまり間を空けず、マリオ、ブルネロと、同じくアリオン音楽財団で応援している、まったく異なるタイプの音楽家である、ピアニスト、アヴィラム・ライヒェルトについて書きたい。
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