インターミッション
2002年1月
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■ 舞台で花開く民族の個性
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?? 〈東京の夏〉音楽祭2001はいかがでしたか?
武田
?? オープニングのポクロフスキー・アンサンブルを観ますと、ざっくばらんに言えば、ストラヴィンスキーのネタが分かりましたね、彼の《結婚》などの秘密があのグループの演目から窺えたことは貴重でした。ロシアにはどういう民族がいてどんな活動がなされているか、特に革命前後の音楽状況はどうだったか、いままで遮断されてきたものが少しずつ分かってきて見直されています。そういう時期に、地域の文化をそのまま持ってくることの重要さを改めて痛感しました。地域の個性というか、文化がこれからますます大事になってくると強く感じましたね。例えば民族芸能という意味ではシャーマンの演目を観ましたが…
江戸
?? シャーマンの巫儀、呪術ですね。精霊を司る白いシャーマンと下界と交信する黒いシャーマンがいて、現地では今でも治療を施しているのです。
武田
?? 本来は、おそらく舞台へ乗せる呪術ではないのでしょう。
江戸
?? 当然のことながらそうなのです。ただ草月ホールは、平土間のようで、あまり異和感なく、こうした公演が受け入れられるとは思いますが。今回は黒のシャーマンが途中で舞台を終えました。その訳は、これ以上呪術を続けていると会場で頭が痛くなったり、叫んだりする人が出てくるから危険を感じてやめたというのです。
武田
?? 人間が本来持っているはずの能力はだんだん薄くなる状況があります。ローカライズされた文化とグローバライズされた文化の鬩ぎ合いの中で、今までと異なった文化が作ってゆく中での体験は大事です。こうした巫儀は地域の生活文化の中で、伝統を持ち、効果をもたらすものでしょう。
江戸
?? 日本にもこうした巫儀は多少残っているのでしょうか。
武田
?? 沖縄とか恐山とかにね。やはり一神教の文化というのは限界があるという…
江戸
?? 一神教でしかも男の神様だと、やはり殺し合いですね。
武田
?? 一神教だとさまざまな異なるものを全て否定してしまったり…
江戸
?? 第13回〈東京の夏〉音楽祭97「共創のコスモロジー :神話そして伝説」の際、企画の吉田敦彦氏が語っておられたように、日本の神話では天照大神(アマテラス)は素戔鳴(スサノオ)の悪戯にも穏やかな反応で、人を殺した時に初めてお怒りになり、でも高天ガ原から説教するだけで、殺しはしない。
武田
?? その文化を形成した気候風土が関係しているのですね。
江戸
?? 大 11月にパリの日本文化会館で埴輪の展覧会がシラク大統領の要請で開催され、観ましたが、フランス人の照明家の光の当て方が素晴らしく、穏やかで、素朴で柔和な表情が浮かび出て、平和でのどかな従来の日本が反映しているのを実感しました。
■ 生き残る演目はエネルギーが満ちて
江戸
?? 音楽祭では、発足当初から西洋音楽だけでなく、テーマをもとに古くからいろいろな音楽を受け入れてきた日本ならではの、各国の民族音楽から邦楽などもプログラムに入れてきました。第10回以後はこの音楽祭に参加する人々が、今という時代の生き方について考えるきっかけとなるようなプログラムを考えてきました。2001年の「聲」のテーマでは、人間の声が持つ根源的な意志表示にスポットを当てて、今の文明のあり方を多少とも問うことが出来たかと思います。
武田
?? 「聲」にはいろんな可能性があり、現代では全てがマニュアル化され、人間との関わり合う部分を切り削いできた気がします。
江戸
?? そうですね、西洋のクラシック音楽における声の表出は、洗練の極致とも言えるでしょうが、今回はむしろ肉体に直結した根源的な声の表現に光を当てました。
武田
?? 舞台上演という意味で言うと、その土地の場でなければ意味がないんだという声もありますね。上演のシチュエーションとして。
江戸
?? その場、土地に結びついているもの、村や共同体の中で生まれて育っているものの部分を切り離して舞台へ乗せるということ。でも我々としては舞台化されないと観られないですし。ただ、年間何百回も上演するのはどうかとは言えますが…。今回の音楽祭のように熱気あふれた演奏会を観ると、多少変化を受け入れていった方が形骸化を避けることにもなりますし…
武田
?? 伝統の演目も時代につれ、変化している…生き残るものはエネルギーをもっていますね。永久に元のままではありえないですし。
江戸
?? 西洋のクラシックは遠い昔にそれぞれが属していた場から切り離されてしまっています。
*以下、次号をおたのしみに。 (続く >>)
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