インターミッション


2001年7月

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■ 往信:小沼純一

拝啓
先日、久慈での滞在は、短くはありましたが、ひじょうに印象深いものとなりました。ありがとうございました。
クレーメル/クレメラータ・バルティカによる《8つの四季》は最大限のテンションを保ち、聴き手にむかって真正面から、瞬間瞬間、ひとつひとつの音に傾注しながら、音楽をたちあげていきました。たしか一昨年でしたでしょうか、東京でも聴いていたのですが、そのときにあった緊張とはちがった、演奏することの楽しみとリラックスさえ、今回は感じられたのでした。作品に内在する可能性を最大限押し広げるという意味での解釈=演奏(interpretation)が、ここにはありました。オリジナルを尊ぶあまり、作品が書かれた後の百年二百年の歴史を忘却したような昨今の――悪しき流行としての――「古楽」など、嘲笑ってしまうような演奏。そこでは、ごくあたりまえのこととして、ヴィヴァルディとピアソラが、時代も空間も越えて共存し、「8つの四季」が循環しつづける。そんなふうにわたしは聴いていたのでした。おかしかったのは、あの若い世代にかこまれると、クレーメルが小さくなってしまうこと。メンバー全員を立たせ、中央にクレーメルが立つと、ほとんど谷底のようでした。たしかに女性達はハイヒールをはいていたけれど、それにしても、大柄で、びっくり。しかも、わたしたちが最近見慣れているアメリカ的というか、日本的というか、いやもっといえば無意味な愛想笑いというのが、この演奏家たちにはなかったのも、記憶に刻まれたことのひとつです。
ところで、わたし自身は、地方に新しいホールを建てることについて、正直なところ、あまり肯定的ではなかったのです。日本の「近代化」のなかで、その土地土地に根づいている芸能や文化を根絶やしにしておきながら、かわりに外来の「芸術」をやるホールをつくるという発想は、どこかヘンなんじゃないか、というふうに。しかも、地方の多くのホールが張り合うためにパイプオルガンを競って設置し、それでいて、使う機会がないので埃をかぶっているなどという話をしばしば聞くと、なにか、やり場のない憤りを感じたりしてしまうわけです。ところが今回久慈でクレーメル/クレメラータ・バルティカの演奏を聴き、それに対する聴衆のほんとうに熱い拍手を会場のなか、直接身体に感じ、あるいは楽屋にサインをもらいに並んでいたひとの「まさか、一生のうちに、ここで《8つの四季》が聴けるなんて思いませんでした」という言葉を耳にすることで、多少なりとも、考えが変わったのも事実なのです。
たしかに、この国の近代化政策や地方文化行政をめぐる偏りや誤りなどは、考え方として、また具体策として、依然としてあるでしょう。同時に、けっして多くはないかもしれないけれど、地方に住んでいるがために、都市部ではごくあたりまえとなっているコンサートに触れることが容易ではない、そうしたひとにとって、けっしておざなりでないかたちでコンサートをやることがどれほど意義深いことか。
いま書いたようなことは、わたしが最近大学で講義をして、日々感じていることにも重なってきます。大教室に200人、300人と学生がいる。寝ているひと、携帯でメールを送ろうとしているひと、「内職」をしているひとがいる一方で、こちらの話している一字一句まで書き取ろうとするひともいます。大学で教えることがながい友人・知人のなかには、どこの国でも、100人のなかで興味をもってくれるのが1人いればいいと言ったりします――わたしはもう少しだけ楽観的で、10人くらいと思っています――が、その「わずか」なひとにとって、しっかりと伝わることがあれば、それはそれで意味があるし、その「わずか」なひとを、少ないからといって排除したり、無視したりすることは、けっしてはあってはならないわけです。これは、各種芸術の公演でも同様でしょう。来るひとが少ないから、採算がとれないからといってやめてしまうことで、同時に切り捨てられるのは、アーティストのみならず、一般のひと、一般の「わずか」であるかもしれないがたしかに存在しているひと、なのです。大学だったら、ひとりのためでも講座を保持することが可能でしょうが、行政や興行ではそうもいきますまい。しかし、そのうえで、どうするかを考えなくては、「文化」など育ちようもはいのではないでしょうか。(いささか大袈裟になることを承知で、想いだしたのは、かつて作家の高橋和巳が書いていた、「文学者は百万人の前の隊列の後尾に、何の理由あってかうずくまって泣く者のためにもあえて立ちどまるものなのである」という文章だったりします。)
話がいささかとりとめもなくなったように思います。結局わたしがお伝えしたかったのは、自宅から4-5時間かけて出掛けていった初めて(ほんとです!)の東北の街、久慈で接した演奏会で、いろいろ考えさせられたというその事実にほかなりません。ふだん足をむけている東京での演奏会ではない、場所を、環境を変えてこそ訪れてくる思考とでもいったらいいでしょうか。
ながくなってしまいました。また近々お目にかかれるかと思います。まずは、先日のお礼まで。
江戸京子様
小沼純一
2001年6月



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