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2001年9月

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■ 往信:小沼純一

拝啓
「〈東京の夏〉音楽祭」も無事終わり、酷暑の日々をだらだらと過ごしているうちに、はや9月――。前回のお返事をいただいてから、かなり時間が経ってしまったこと、お詫びしたいと思います。夏はほんとうに、活動力がにぶってしまって。
前回久慈のホールについていろいろお話をうかがうことができましたが、時間を捻出することができず、秋のお祭りにうかがえないこと、かえすがえすも残念です。またの機会にぜひ、と考えていますが――。
さて、今年の「音楽祭」には、これまでとはかなり異なったお客さんが多数足を運んでくだすったように思います。楽器に較べると「声」というのは、やはり身近で、すっとはいっていけるところもあるのでしょうか。身近なところでも、「ヒュータヤット」に行くんだとか、コーランはぜひ聴いておきたいとか、何気ないながらも、自然に耳にはいってきたものです。「音楽祭」なるものは、日本でも多数おこなわれていますが、ひとつのテーマを立て、ジャンル横断的にというものはほかにないといってもいいでしょう。東京の名を冠し、都市性が示されているのも、こうしたプログラミングをする力となっているのかもしれません。東京の多様性を考えたときにも、これはかなり重要なことに思えます。
共同体がなくなってしまった現在、音楽は「どこか」で接する、聴くものになりました。コンサートでも街角でも、あるいは自宅でCDをかけてもいい。でも、共同体において、自らも参加しながら成り立たせる芸能は、ほとんど見出すことができません。そして、「どこかで接する」ことで生じるのは、音楽をやるひとと、それを享受するひとに分離してしまうということです。そうしたところでの音楽体験とは、たまたまコンサートに行って、楽しかった、良かった、で終わるのか、それとも、そこで体験したこと、「何か」を、持って帰れるかどうか、ということになるのでしょう。多くのコンサートは、せいぜい前者で終わってしまっているのではないか。たとえそうでなくても、個人の体験として、持って帰るということが、捉えられていないとでもいいますか。
仕事で新潟・苗場の「フジ・ロック・フェスティバル01」と千葉・マリンスタジアムの「サマーソニック01」というロックのフェスティヴァルにも行ってきたんですね。この年齢になったら、どちらも、行くのがちょっと億劫なものではあったのですが、それゆえにいろいろ考えることがあったわけです。野外にあるいくつものステージを土ぼこりをあげながら行き来し、寝転んだり熱狂したり傍観したりしながら大音量のロックを全身に浴びる。たしかにニール・ヤングだとかパティ・スミスだとか、高名なアーティストが出演しているのだけれど、多くの観客は、かならずしも彼らが有名だからというので来ているのではなく、むしろその「野外」で「ロックのサウンドを浴びる」、その空気に触れる、そのなかにいるというのが大切であり、意味であったりする。そして、ときに気分がノッてくれば、ステージちかくまで行って、手をふりあげ、踊りまくることもできる。ここには、普段ウォークマンで耳にしている音楽とつながっていながら、ヘッドフォンで閉じ込めているのではない、もっと外界に接した、外に広がった音楽があり、それこそが、日常とけっしてはなれてはいない、むしろ地つづきでありながら、ほんとうの「ハレ」にはなりえないけれども、安心したかたちでの「ハレ」があるのかもしれません。
わたし個人としては、こうしたロック・フェスティヴァルでは、まあ、そうしたフェスティヴァルそのものを「論じる」、「考える」ことが仕事ではあったわけです。個々のアーティストの音楽といったものについては、二の次で、むしろお客さんとして楽しんでいただけとさえいえます。
それに対し、音楽そのものについていまだにひっかかっている、いろいろと考えつづけているということでは、今年の〈東京の夏〉の「トルコ宗教/古典音楽」と「アフリカのグリオ」には大きな宿題を与えられたような気がしているのです。ひびきとしてはけっして知らないものではなかったけれど、実際「そこ」で歌われ、演奏され、つくられてゆく、さらに踊ったりお布施が登場したりといったことまで目の前にすると、ただ客観的な音をどうこうすることの虚妄といったものさえ感じたりしていたわけです。
CDで聴いたり、あるいは授業でヴィデオを見せたりして簡単にコメントしたりする。でも、そんな「聴く」とか「ちょっと見る」とかいうような五感のうちのわずかなものだけを使って触れている「音楽」なるものと、実際、「そこ」で、ひとつの空間=時間のなか、空気を共有しながらおこなわれているのに触れることとの圧倒的な差。もちろんなんらかの土地に生まれ、育った音楽を、よその土地に持ってゆき、ホールで決められた時間にひびかせるということについて、本来とは違うということはあまりに当然、わかりすぎることではあるでしょう。しかし、にもかかわらず、たとえ場さえ本来のところとは違っていても、やはり「いま=ここ」に、否応なしにあることの圧倒的な強度とでもいいますか、そういうものがある。これを目の当たりにして、音楽について語ることそのものを考え直さずにはいられない、絶えずその体験すること/語ることの地点に立ち返らされずにはいない――そんなふうに思ったし、そこで、さて、何をどう語ればいいのか、ということを、つまりは自分の感覚を言語化するということを、つねに考えつづけることになっているのです。
話がちらばりそうなので、コンサート/ライヴに接するということに限定することにしましょう。
8月のはじめ、ギタリストのジョン・マクラフリンと、タブラのザキール・フセインが中心となる「シャクティ」というアンサンブルが来日して、何カ所かで公演しました(ザキールは以前、〈東京の夏〉でも来日していましたね。10年以上前になりますか。そのとき、当日でも大丈夫だろうと思ったら、完売で泣く泣く諦めたという記憶があります)。観客達は熱狂し、実際、素晴らしかった。わたしの自主ゼミにでている子(某大学でウェーベルンを卒論にすると言っている女性です)などは、「タブラ熱」に冒されてしまったほど。あげくのはてに安物とはいえ、教えてあげた店でタブラと入門用ヴィデオを購入、練習し始めてしまいました。音楽がどんなふうにひとに届くかなど見当がつきません。ただ、ときとして、思いもかけぬ効果を生み、行動まで促してしまうことがあることはあるんですね。そういうのを身近に見ると、「届く」というのは凄いことなんだと思わずにはいられません。会場で、やはり若い子が、ここでもらったエネルギーを明日からどうしよう、なんて言っていたのも殊更印象的でした。
講義などで、今度、こういう催しがあって、こんなアーティストが来るよ、と何百人を前にして語り、ときにはCDやヴィデオを使って、演奏に接してもらう。それでも、もちろん、コンサートに足を向けるひとは少ないのです。でも、たった1人でも2 人でも、会場で顔を合わせ、終わった後に、来て良かった、すごいものみちゃった、最初はチケットが高いと思っていたけど、この倍だって安いくらい――こんな声を聞くと、たとえわずかであったとしても、音楽に参加できたような気がしないでもありません。もちろん自分が演奏するわけでもない、音の外側にいるのは事実なのですが、実際の音に触れてもらうための「媒介」の役割、一種の「誘惑者」として、わずかなりとも満足できる、その内実は見えるわけではないけれど、「良かった」ことだけは共有できている、というような。
わたしがまだ20代だった頃、いまほどいろいろな情報はありませんでした。レコードだって輸入される珍しいものは特定の店に行かなくてはみつからなかったし、コンサートの情報だって限られていた。でもそれだけに自分の足で探すということだけはしたような気がします。いまは逆に情報が多すぎて、何をどう選んだらいいのかわからなくなってきている。いちかばちかで選ぶのさえあまりに選択肢が多くて、困惑しているのかもしれない――そんなふうに思ったりしています。では、一体、どう伝えていったらいいのか。最終的には、声を張り上げるより、ぼそぼそと小声による「口コミ」がいちばんつよいのかもしれません。逆に、コンサートなどが少なくて、触れられるものがひじょうに限られてしまうという例も想定できるかもしれません。これしかない、これ以外に選択肢がないときは、どうでしょう。例えば、前回の久慈だったなら、少ないながらも質の高いものが特に選ばれ、公演がおこなわれる――ような。
何かとりとめもなくなってしまいました。一応、この夏に触れたコンサートなどで考えたことを記してみた次第です。
〈東京の夏〉についての、アンケートの結果などについても、またお教えいただければ、と。
とりいそぎ。
江戸京子様
小沼純一
2001年9月
P.S.
ジプシー・ヴァイオリンのことを書かれていらっしゃいましたら、わたしも先日、ルーマニアはクレジャニ村から来日した「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス」を聴いて、その圧倒的な熱さに呆然としてしまいました。「きれいに重なる」というのとは違うのですが、複数のヴァイオリンが競争のようにぎゅんぎゅん弾きまくる。重なるとかずれるとか形容することが馬鹿馬鹿しくなるような「重なり/ずれ」がそこで起こっているのです。それはソリストとしてみごとで、聴き手をつかんではなさない魅力をもつロビー・ラカトシュのキャラクターとはかなりちがったものです。



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