インターミッション


2001年11月

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■ 返信:江戸京子

小沼純一様
<東京の夏>が終わってすでに数カ月、やっと人心地を取り戻したところです。曲がりなりにも責任者として、個々の舞台を自分自身が演奏するとおなじぐらいの集中力で観ることを余儀なくされ、−勿論そこには歓びもありますが−しかも観客の入りやその反応を見つつ、今回は赤字を出さないで済むかどうか、一喜一憂するこの音楽祭の前と後では、日々生きている世界が変わってしまう、といってもいい過ぎではありません。
もっとも今度のテロのような、難攻不落と信じていた現代のバベルの塔が、貧困と絶望の彼方からの憎しみの肉弾によって破壊されるといった、空前絶後の事件の後の世界の変わりようとは、比べ得るべくもない、まったくミクロな話ですが。
今回いただいたお便りの、貴方が2002年の企画会議でお話しになる時と同じような感じの、小声でぼそぼそと、ああも考えられるし、こうとも言える、といった文体に影響され、私自身も日常的な話し言葉で書いてみたいのですが、どうもうまくいきません。
ちょっと待ったために網目が破れ、企画全体が御破算になってしまうことが起る、という因果な仕事に長年携わってきたことによる職業病か、もう人生の残り時間が少ないという焦燥感からか、それとも常に自分が正しいと主張するフランス人のなかで青春時代を送った後遺症か、どうしてもせっかちなり、主張が声高になってしまいます。
私事に絡んだこんな話はどうでもよいのですが、大声で叫ぼうが小声で囁こうが、またごく当たり前に話そうが、真意がまったく曲解されるということもしばしば起こります。まあこうした場合、いずれにせよ、常にそれを良しとするひと半分、悪しとするひと半分、あるいは目明き一人に盲千人と割り切るのか、しつこく主張を繰り返すのか。
今年度の音楽祭のなかで、アフリカのグリオや、トルコの宗教、古典音楽をお聴きになり、貴方は本来一つの共同体で生まれ、その場所に根ざして生きてきた音楽が、場を離れてCDやコンサ−トホ−ルで聴かれるといった、資本主義社会における消費の対象となった場合の、音楽を提供する側と受け手の問題に触れておられます。
実はこの問題については、いみじくも伊東信宏さんが、ル−マニアからやってきたチョカリ−アというジプシ−の吹奏楽団の演奏を朝日新聞紙上音楽評のなかで取り上げ、見事な問題提起をされています。
この批評は、一年位前のものと記憶していますが、あらゆる層の読者を視野に入れ、彼らの演奏が、聴けなかった私のようなものにも臨場感が伝わるほど、視覚的聴覚的に生き生きと描写されているのみか、限られた紙面のなかに、この楽団の成り立ちの背景や現在の活躍についても触れ、さらには、ル−マニアの辺境モルドバ地方の、村という共同体に属している音楽を、クラシック音楽を中心とした、企業のメセナ活動の牙城である王子ホ−ルで聴く違和感にも言及し、多少のひねりを加えながら、供給側の問題と、受け入れ側の日本の姿勢を同時に読者に問いかける秀逸なものでした。
ところがなんとこの批評文が、招聘もとのホ−ムペ−ジで、さんざんに叩かれているのです。伊東さんの真意がまったく理解されていないことに驚きました。
それらを読んでみると、一つの単語、例えば資本主義とか、ファッションといった、明確な定義ができる言葉でさえ、思い込みによって作り上げたイメ−ジを通して読んだり、あるいは情緒のベ−ルで包み、感情で理解して難癖をつけてくる、という人達が結構多いのです。はては推測を土台にしての、伊東さんへの個人攻撃にまで及んでいます。
もしこれが一般の聴衆の平均的なレベルだとすると、日本で批評というものが本当の意味でなかなか育たない理由も窺い知ることが出来るような気がして、あなたをはじめ評論畑の俊才たちのご苦労も如何ばかりかと思ったほどです。
ともあれ、元来一つの共同体に属しているこうした音楽が、西側で売れっ子になった場合、たとえばCDなどでは、どうしても資本主義社会側のプロデュ−サ−たちの、たとえば売れる、売れないといった価値基準によって切り貼りされてしまったり、あるいは本来、雇い主と弾き手といった需要と供給が、文字通りお互いの顔が見える至近距離で行われ、ゆえにそれを生業とする弾き手側にとっては常に真剣な商行為であったものが、西側で何百回という演奏会を持つようになれば、恐らく彼らの音楽は変質していってしまうのではないか。こういったことを考えると、私たちも聴いてただ楽しかった、珍しかったのみでは済まず、聴く側の姿勢も問われます。
今回の私たちの音楽祭はテ−マが「聲」であり、声という、今や現代人が失いつつある、肉体に密着した原初的な意思表示のエネルギ−に焦点を当てたため、声の表出としては洗練の極致である西洋のクラシック音楽の演目はたった一つでした。民族、あるいは民俗ものが多かったわけですが、ご指摘のように、聴衆が演ずる人々の熱気に取り込まれ、舞台に上がってごく自然に一緒に踊ったり、歌ったりしているのには驚きました。
現代の日本の都会に生きる私たちが失ってしまった、村という共同体からの遠い呼び声を、郷愁とともに思い出し、それに惹かれて応えているようにもみえます。
また演ずる側も、トルコのス−フィズムの旋回舞踊などは、グル−プのなかの楽器を演奏する若い男性が、まるで別人のような崇高な表情で、30分以上も恍惚と踊り続けていた一方、モスク内での演奏は、トルコ大使が早めに席を立ったのに興を削がれたのか、予定より早く切り上げ、聴衆から文句がでるほど、短いプログラムとなってしまいました。
アフリカのグリオの日は、第一部で登場したニャマ・カンテの、ダイナマイトが爆発するようなエネルギッシュな踊りが、公演直前に突然加わることになり会場を沸かせ、サハから来た黒いシャ−マンは、もしこれ以上続けると、観衆に異変が起こる、といって途中でやめてしまうなど、常に予定外のハプニングの連続で、舞台担当者はその度にてんやわんやの死ぬ思いでした。
こうしたグル−プは、文化人類学や、民族音楽の学者の方々に、テ−マの切り口によってフィ−ルドワ−クの経験を生かして推薦していただき、テ−プなどで聴き、招聘するかどうか決めます。アリオン音楽財団は非営利団体ですので、いずれにせよ商行為としては成り立たないのですが、彼らが属している共同体から切り取ってきて東京で公演させる、ということに問題を感じないわけではありません。
しかし、これらの公演が行われた草月ホ−ルは、舞台と客席の距離感がなく平土間の感じに近いせいか、演じる人と受け取る側が容易に一体化できる場所であったこともあり、彼らの爆発的なエネルギ−や、敬虔な宗教心は損なわれた様子もなく、多少資本主義社会の洗礼を浴びても、日常生活が共同体に根づいているかぎりは、あまり変質してはいかないかもしれない。と多少楽観的にもなります。
何かとりとめなく書き進みましたが、考えてみると、人類の歴史のなかで、今までどれほどの沢山の歌が消滅してしまったことでしょう。特に近年、ヴェトナム、カンボジア、アフガニスタンのように、かつてあった豊かな民族音楽が、長年の戦争によって痛ましいほど消滅し、有形、無形の文化財の喪失は目を覆うばかりです。ところが一方で、フランスのテレビのドキュメンタリ−のなかで、タリバンの兵士が、−彼らには歌うことも踊ることも禁止されています−が、自分の美声を自慢しながら嬉々としてカメラの前で歌っているのを見ました。
明日の生死もわからない厳しい状況のなかでさえ歌う心が失われていない、ということは、人間が生きているかぎり、民の歌とは、ある時滅びてもまた常に生まれ、受け継がれていくだけの強い生命力を持ったものなのでしょう。
クンデラが「無知」のなかで書いているような、絶対的喧騒となってしまった音楽という虚無の大河のなかに作曲家たちの亡骸が漂い、シェ−ンベルグとストラヴィンスキ−の死骸がぶつかり合う、というクラシック音楽の運命とは別の道を辿り、様々な変化をも呑み下しながら図太く、たくましく生き延びていくものかも知れません。
江戸京子
2001年11月



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